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福岡地方裁判所 昭和50年(ワ)990号 判決

原告 諫山嘉刀

右訴訟代理人弁護士 井手豊継

同 小島肇

同 諫山博

同 古原進

同 林健一郎

同 中村照美

同 本多俊之

同 上田国広

同 岩城邦治

同 内田省司

被告 昭和自動車株式会社

右代表者代表取締役 金子道雄

右訴訟代理人弁護士 村田利雄

同 堤敏介

主文

一  原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、金三万五、〇五〇円ならびに昭和五〇年五月以降毎月二七日限り月額金一〇万五、一五〇円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は主文第二、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決ならびに敗訴部分につき仮執行の免脱宣言

《以下事実省略》

理由

一  被告が肩書地に本社をおく旅客運送会社であること、原告は昭和四五年一一月一七日に被告会社にバス運転手として入社し、以来福岡営業所に勤務していたが、昭和四九年一月同営業所の支線班長となったこと、別紙の如き本件嘆願書が被告会社の金子社長宛に郵送されたこと、福岡営業所の狩峰所長は昭和五〇年四月九日本件嘆願書の件で原告からその署名・捺印のある本件退職願書の提出を受けたこと、及びその後の同月一一日原告は同所長に対して口頭で本件退職願を取消す旨の意思表示をなしたこと、以上の各事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

二  本件嘆願書提出の目的

原告は、本件嘆願書を直接被告会社の金子社長宛に提出したのは、専らバス運転手の志気を減退させるような不公平な運行管理を正してもらうべく会社のためを思って提出したものであると主張するのに対して、被告は、原告らがかねてより対立していたグループを叩くべくそのグループと仲の良かった井下を個人攻撃するために提出したものであると主張する。よってこの点について判断するに、《証拠省略》によれば、左の各事実を認めることができる。

1  原告は前記の如く入社以来福岡営業所勤務となったが、入社当時の福岡営業所長は田川某、次長は狩峰国晴であった。

ところで同営業所では、昭和四九年七月一日に右狩峰が所長に就任し嶋田次長とともに運行管理の任に当っていたが、内部的には右両名を補佐する運行管理代務者、いわゆる点呼係とか操車係と呼ばれる者が同営業所における配車その他日常の運行管理の実務を行なっており、井下信も同営業所におけるかかる操車係五名のうちの一人であった。

また同営業所にはバス運転手が約一〇〇名ほどおり、バス運行路線の違いによって貸切班、幹線班、支線班の三つに分かれていたが、各班は運転手らの世話役ともいうべき班長(任期は毎年一月から一二月までの一年間)を自主的に選出していた。

2  昭和四九年一月支線班(約四〇人位)においては原告が班長に、深川某が副班長にそれぞれ選ばれたが、そもそも両名は同じ釣グループに属するなど当初の仲は極めてよかったところ、同年の夏ごろ些細なことからその仲が悪化し次第に別グループ(具体的には原告、秋田実武、吉田州宏、柴崎千年らのグループと増本某、小林輝敏、深川らのグループ)を形成して互いに反目し合うようになった。

たとえば、同年八月ごろ原告と柴崎が深川に乱暴したということで、深川と同じグループに属する増本は右深川と仲のよかった井下の助言によって原告らに対して慰藉料を請求するという事件が起こり、また翌五〇年二月一八日ごろには原告と小林の間にトラブルがあり、小林が原告を傷害罪で警察に告訴するという事件が発生した。

なお後者の事件については狩峰所長の仲介でその告訴が取下げられたが、原告は同月二二日ごろ被告より同社の就業規則七四条(1)号に基づいて一〇日間の出勤停止処分を受けた。

3  ところで前述のとおり原告が支線班の班長になった後、同営業所内では操車係である井下の運行管理業務についてバス運転手の一部から不平不満の声が起こり始め、昭和五〇年三月下旬ごろには秋田、原告および吉田らが中心となって嘆願書の形式で狩峰所長を飛び越えて直接本社宛に郵送してこれを訴えようというまでになった。

こうしてその頃バス運転手らの溜り場となっていた同営業所事務所二階にある独身寮(ここは被告会社の規定では日頃から業務中には部外者立入禁止となっていたけれども、実際には寮生でない運転手らも待機時間などを利用してしばしば休憩をとるために自由に出入りしていたもので、会社もこれまで特に咎めてはいなかった。なお事務所一階には運転手控室があったけれども、あまり利用されてはいなかった。)の一室に秋田、原告、吉田のほか森一美、山口長秀、田添直秀、柴崎ら七、八人のバス運転手が待機時間を利用して会社に無断で集まり、それぞれ井下に対して抱いていた不平・不満や目撃した事実などを披歴し合って嘆願書の骨子を作り、それを土台にして運転手の山口が文案をつくり且つ清書して出来上がったものが別紙の本件嘆願書であった(なお、1頁目の宛先欄の「金子社長」なる記載はこのときにはまだなかったが、本社宛の嘆願書であることは皆承知のうえであった。)。

秋田、原告、吉田らはこのようにして出来た本件嘆願書について、手分けして各運転手らの署名・捺印を求めた。

なおその際各運転手に対しては、概ね本件嘆願書の趣旨や本社宛に直送するものであることなどを説明し且つその内容に目を通させた上で署名・捺印を貰っていたのであるが、運転手の中には、その説明や内容に余り関心を払わずに署名・捺印をした者も一部におり、また逆に一旦署名しながら再考し直してこれを撤回した者も二名ほどいた。こうして結局、幹線班及び支線班の合計二六名のバス運転手から署名・捺印を獲得するに至った。

その後原告は秋田、柴崎、田添らと相談して、昭和五〇年三月三一日その宛先を金子社長として本件嘆願書を本社に速達便で郵送した。

以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

そしてこれらによると、原告らのグループと深川らのグループとが福岡営業所内で日頃から対立し反目し合っていたこと、本件嘆願書作成の中心メンバーが原告らのグループに属していたこと、批判の対象にされた井下が深川と親しかったこと、福岡営業所の最高責任者である狩峰所長や同営業所の組合支部などには何らの相談もなく突然本件嘆願書が被告本社の金子社長宛に直送されていること及び増本らの原告に対する前記慰藉料請求の事件が井下の助言によるものであって、原告もかかる井下の行為に対して個人的に反感を抱いていたであろうと推測されることなどの点に鑑みると、被告の本節冒頭の主張もあながち不当とはいえないように思われる。

しかしながら、他方、本件嘆願書の記載内容についてみると、《証拠省略》によれば、別紙に記載の各事実はいずれも嘆願書の作成者である原告らの目撃した事実や日頃井下に対して抱いていた各人の不平・不満の類を列挙したものと認められるほか、前認定のとおり多数のバス運転手が本件嘆願書の右記載内容に目を通してから署名・捺印していることなどに着目すると、嘆願書記載の事実が全て右井下を排斥することを目的とした虚構の事実であるとは認め難い。即ち、右嘆願書記載事実中、不凍液の件は、前記吉田州宏の目撃した事実であり、原告は、右井下が雑誌を読みながら点呼を行なったり、他人と雑談しながら点呼したりしていた事実を目撃している。その他も前記の如く集った七・八人の運転手が申出た事実に基づいて記載したものであって、嘆願書の目的から、ある程度表現に誇張が伴ったきらいはなしとしないとしても、原告を含む前記発起人らが主観的に真実と判断したことを記載したものと認めることができる。

この点井下にはかかるバス運転手らの一部に不満を抱かせる取扱いなど全く無かったという同人の陳述書や狩峰所長の供述の各該当部分は右各証拠に照らして措信し難い。そして他に右認定を覆すに足る証拠はない。

また本件嘆願書を金子社長宛に直送した点についても、《証拠省略》によれば、会社には労使協議会をはじめ、苦情処理委員会など日常業務に関する紛争や苦情を処理する制度があり、また直属上司への申告、運転士会や組合支部を通じての事実上の調整等の方法も一応ないではなかったが、いずれも十分に機能していなかった事実が窺われ、それが社長への直訴という方法をえらんだ一つの理由となったものと認めることができる。

してみると、本件嘆願書の作成と社長あての送付をなすについて被告主張の如きグループ間の対立からする井下への個人的反感などは、原告をはじめ前記発起人らの念頭に全くなかったとはいえないとしても第一にはやはり前記井下の業務執行態度に運転手らの一部が不満を持っていたこと、そうしてこれが合理的に処理されることを期待し得る場がなかったことから、その解消をはかることに主眼があったと認めるのが相当である。《証拠判断省略》

三  本件退職願提出に至る経緯及びその後の事情

右の点については《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  本件嘆願書を昭和五〇年四月一日に被告本社で受け取った中島寿人事課長は、内容を見た上、即日山田労務係長に事実調査を命じた。

そこで同係長より更に連絡を受けた福岡営業所の狩峰所長は、まず本社から送付をうけた嘆願書のコピーに基き、同月六日までの間に当の対象者となった井下信、嘆願書に署名した運転手全員をふくむ関係者について個別調査を行った。特に右に署名した運転手らについては署名の動機、嘆願書作成の主謀者は誰かなどについて追求した。その際、ほとんどの運転手が井下に対する不満などなく、原告らに頼まれるままに宛先も確かめずに署名・捺印してしまったと同所長に弁解したのに対し、秋田は自分が主謀者であったと素直に認め、吉田もほぼ同様にこれを認めた。そして両名は、原告も主謀者であると述べたが、原告は、自分は秋田に頼まれて署名を勧誘したが主謀者ではないと弁解した。

なおその際、原告については、同人がこれまで数度にわたって西鉄バス運転手らとの間にトラブルを起したことがあり、前記出勤停止処分にかかる事件もあって、同所長は「もう面倒は見きらない。」「君も覚悟しとかないかんだろう。」などと、会社を退職させられることもあり得る旨を告げた事実もあった。

2  かかる調査を通じて狩峰所長は、本件嘆願書提出の主謀者は原告、秋田、吉田の三名であって、その他の署名者はほとんどの者が何ら井下への不平・不満もなく、ただ原告らの依頼に安易に応じて或るいはその後難を恐れて嘆願書の内容や宛先も知らずに署名したものであり、結局本件嘆願書は井下及び同人と親しい深川グループに対する原告グループの計画的な個人的報復行為に過ぎないと判断するに至った。そうして同所長は、かかる行為は就業時間中、無断で業務外の集会を開いて嘆願書の作成提出を協議し、本来苦情・不満があるならば、労使の苦情処理機関もあるのにこの方法をとらず、職場の上司を経由することもなく組織の秩序を無視して社長に直訴するなど会社の秩序を乱したものと考えた。

そこで同月七日、狩峰所長は被告本社で中島人事課長にこれまでの調査結果、とりわけ本件嘆願書の主謀者が原告、秋田、吉田の三名であることを報告するとともに、今後の対策について協議したが、そこでの両者の協議結果では、原告らの行為は被告の就業規則七五条(17)号、(18)号に該当し更に原告については同(4)号にも該当し、相当の懲戒処分(必らずしも懲戒解雇ということではない)も止むを得まいということになった。

(注)就業規則

七五条 次の各号のいずれかに該当するときは懲戒解雇処分にします。

ただし、情状によっては出勤停止または減給に止めることがあります。

(4) 前条による懲戒を反復したとき。

(17) 就業時間中会社内において許可なく業務に関係のない集会を催し、またはそれに参加したとき。

(18) 自己または一部の者の意見によって他人を扇動的言辞をもって会社の秩序を乱しまたは乱そうとしたとき。

そして、同所長は更に中島人事課長に対して、原告らはいずれも責任を感じて退職するかも知れないのでこの場はしばらく自分に任せて欲しい旨懇請し、同課長もこの狩峰所長の申し出を了承すると共に、その旨上司である栗山総務部長に伝えてその了承を得た。

ところで狩峰所長が中島人事課長に対して右のように発言したのは、同営業所内の他の一部従業員らの間に原告がまた事件をしでかしたのかという反撥的空気が強く起こり、原告に対する厳重な処分を早急に求める気配が感ぜられたことのほか、同所長自身も、自らの責任下にある従業員が起したことであるから営業所限りでことを平穏に片付けたいという思惑や原告らも責任を感じて退職するような雰囲気があるとの感触などによるものであった。

こうしてその時には原告らの行為については、それが懲戒事由に当るだろうとのおおよその検討はなされたものの、更に突っ込んで懲戒処分の選択つまり懲戒解雇かそれとも出勤停止や減給か等までの検討は煮詰めてなされなかった。

3、さて同月九日原告、秋田、吉田らは乗務待機を指示されていたが、午前一〇時過ぎごろ、一人ずつ所長室に呼ばれ、いずれも狩峰所長より概ね、「本社就業規則の七五条(17)号、(18)号により懲戒免職されることになった。」「しかし懲戒免職ということでは退職金も出ないし再就職も困難だろう。」「だから退職届を出しなさい。私が何とか依願退職になるよう取計らって上げよう。」という趣旨のことを言われ、同所長より会社備付けの退職願用紙を渡された。

ちなみに被告会社における懲戒処分決定までの手続は、福岡営業所のばあい、所長が事実関係を調査した上で就業規則の懲戒条項の該当性を一応判断して本社の人事課に報告し、同課において具体的な懲戒処分の起案をして担当の栗山総務部長に報告し、部長会―事実上の重役会―の了承を経て金子社長が決裁することになっていたが、本件についてはかかる具体的手続は開始されておらず、右狩峰所長の懲戒免職云々の発言は原告、吉田、秋田らを円満退職させるため、同所長が独断でなしたことが明らかである。

他方、同所長より右の如く言われた右三名は、いずれも同所長の説示したとおり懲戒解雇になる位ならば依願退職した方が得であるため、同所長の示した退職願用紙を受け取り一旦所長室を辞去した。その後右三名は、所長に面会を求めことの真相を確認に行った組合関係の四人(秋月組合支部長、中山同副支部長、波多運転士会長、原田同副会長)からもどうにもならないと聞かされ、退職を慰留されることがなかったために、若し懲戒解雇処分となるとすると、退職金も貰えず、再就職の妨げともなるため、そうなることについて困惑畏怖をおぼえ、結局退職願を出すほかないとあきらめ、各自独身寮の一室で本件退職願に所要事項を記載し(なお退職理由欄は、三人とも「一身上の都合により」としたが、これは吉田州宏が山口次長に教示されてこのように書いたのを、原告と秋田がそれぞれ真似して書いたことによるものと認められ、この点はじめからかかる記載の鉛筆書きされたものを狩峰所長から受取ったという原告本人の供述部分は、俄かに措信し難い。)、署名・捺印のうえ同日昼過ぎごろ同所長に個別にこれを提出した。

狩峰所長は早速同日午後二時ごろ本社の中島人事課長宛に原告ら三名の本件退職願書を受領した旨電話連絡するとともに、当日のバス便でそれを本社に直送したので、即日本社の受理するところとなった。

4  右のとおり、原告、吉田、秋田らは、一応退職願を出したわけであるが、原告と吉田は、当日帰宅した後、本件のいきさつを振りかえってみると、嘆願書を出したくらいで辞めなければならないということに納得できず、両名とも翌一〇日には裁判に訴える決意をし、その翌一一日には原告代理人らに相談して、その指示により本件退職願を撤回(この日原告から退職申出の取消行為があったことは、被告も争わないところである)する旨狩峰所長に口頭で伝えるに至った。なお秋田は右一一日ごろ同所長より被告の系列会社である佐賀の昭和タクシーを紹介されて就職することとなり、原告や吉田とは行動を共にしていない。

さて同月一二日、狩峰所長は原告と吉田の右撤回の意思表示を本社宛電話で取次いだが、中島人事課長の回答は、原告らの本件退職願は既に重役会で了承済みであったので、今更撤回など認める訳にはいかない、という趣旨のものであった。

また右一二日、原告代理人らは狩峰所長を訪れ原告や吉田の行為が懲戒解雇事由にあたるという点を問い糺したが、そこでの同所長の返答は、原告らの行為のうち立入りを禁止された独身寮の部屋に無断で多人数集合したことは就業規則七五条の(17)号に、組合支部や所長を無視して本件嘆願書を勝手に社長に郵送し職場の秩序を乱したことは同条の(18)号にそれぞれ該当し、なお原告についてはこれまでにも同僚と数度のトラブルを起こしており、同条の(4)号にも当るという内容のものであった。

ところで、右のように当初原告と行動を共にしていた吉田は、その後の同年七月初めごろに親類や田川昭和タクシー常務(元被告会社福岡営業所長)らの尽力で被告会社に再就職(新規採用)が決まり、今まで同様福岡営業所に勤務することとなり、原告とは行動を異にするようになった。また前記の如く昭和タクシーに入社していた秋田も昭和五一年四月には被告会社に再就職(新規採用)が決まった。

以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

四  本件退職願の意思表示の効力

原告は第一に、本件は形式的には退職願が提出されているが実質的には懲戒解雇処分そのものであると主張するが、右にみたところによれば、被告会社が原告に対して懲戒解雇処分を決定、通告した事実は一切認められず、原告の右主張は採用できない。次に原告は、原告のなした本件退職願の提出は被告(狩峰所長)の詐欺ないし強迫に基づくものである旨主張する。よって以下判断するに、一般に労働者において何らかの懲戒事由がある場合、この者に対して懲戒解雇処分もあるべき旨を告げ、そうなった場合の利害得失を説いて同人から退職願を提出させ、依願退職のかたちで雇傭契約を解除することはよく見かけることである。このような場合に右懲戒事由が本来懲戒解雇不相当のときにおいては、右示唆が強迫行為(民法九六条)に該当する場合もあり得ると言うべきである。

即ち、前記認定にかかる狩峰所長の言にもある如く、懲戒解雇の場合は通常退職金も出ないし、また労働者の再就職において妨げとなるものであって、これが原告の如く他に雇傭されて賃金を得る以外に生活手段を持たない労働者に与える経済的・精神的打撃は多大なものがあることは容易に推認し得るところである。もっとも真実懲戒解雇相当の行為が労働者にあった場合に、使用者がかかる依願退職をさせることは、いわゆる温情に基づく措置であるとみられ、違法性なしと判断すべき場合が多いであろう。しかし、そうでない場合に、使用者側が懲戒解雇の不利益をもって労働者をおどし、万一にもそのような事態になるのをさけるためには、この際退職願を提出して円満退職の方法で雇傭関係を解消し、退職金も貰って他に再就職を計るほうがまだましであると決意せざるを得ないような状況の下にこれを追い込んで、退職願を提出させたとすれば、労働者の右退職願の提出行為は、違法な害悪告知の結果であって、強迫による意思表示であり取消し得べきものというほかはない。

さて本件の場合、前記三に認定のとおり、狩峰所長が原告に懲戒解雇処分があることを告げて同人から本件退職願を提出させたこと及びその際被告会社は原告を懲戒解雇にするとまで正式に決定していた訳ではなかったことはいずれも明らかである。そこで、原告の本件嘆願書提出行為がそもそも懲戒解雇に相当する行為であったかどうかを検討するに、被告が原告の本件行為は懲戒処分に相当するとして主張する就業規則の条項は前記の七五条(17)号、(18)号と(4)号である。

そうして、原告が前記吉田、秋田ほか運転手らと本件嘆願書提出を協議するため、就業時間中、許可なく会社側が立入りを禁じている社内、独身寮に集ったことは、一応同条(17)号に該当すると認めることができる。

次に同条(4)号はその文言からみても趣旨不明で、「前条による懲戒を反復したとき。」とは、就業規則七四条所定の懲戒事由該当行為を単純にくりかえして行ったというのか、七四条による処分(減給または出勤停止)をうけた者が更に同条所定の懲戒事由該当行為を行って重ねて処分すべきときは七五条によって処分するというのか、または他に解すべき方法があるのか明らかでない。またこれが社内でどのように運用されていたか、この点を認めるに足る証拠もない。そうして原告が第七四条によりかつて出勤停止処分をうけたことは、前記認定のとおりであるが、本件行為が具体的に第七四条各号のどれに該当するのか、明確な主張立証もなく、結局、この点に関する被告の主張は採用できない。

次に同条(18)号については、前記認定の如き本件嘆願書作成の動機、署名収集及び送付に至る手段、方法、嘆願書の内容にてらして、「他人を扇動的言辞をもって会社の秩序を乱しまたは乱そうとした」とはにわかに認め難いものがあるが、前記の如く本件嘆願書は、ある程度表現に誇張を伴ったきらいはなしとしないし、提出後このことが全従業員に知れ、一部に反撥を招いた事実もある。更にこれらは十分な機能を期待できない状態であったとはいえ、労使の苦情処理機関を最初から無視し、会社組織の秩序も無視していきなり社長に送付したという手段、方法のまずさが大きな原因をなしていたと推認される点において仮りに(18)号に該当する点があるとしても、本件においては以下述べる理由にてらして懲戒解雇処分は相当でない。

即ち、就業規則七五条は情状により出勤停止または減給に止めることがある旨規定し、いずれの処分をえらぶかは労働者の当該違反行為の悪質さの度合い、重大性と、その処分によって蒙る労働者の不利益を考量し、客観的妥当性がある選択が為されることを要求しているものと解することができる。

そうして、原告について前記の如き(17)号、(18)号該当行為があるとしても、以上認定の如き本件嘆願書作成、署名収集及び送付に至る動機や本件嘆願書の内容、並びに嘆願書作成のため、原告ほかの運転手らが集った独身寮は、一応業務中立入禁止になっていたが、必ずしも守られておらず、会社も特に咎めることはしていなかった事情、右独身寮での「集り」の結果何らかの具体的な業務阻害を生じたかどうか、これを認めるに足る証拠は全くないこと等にてらすと、原告が本件の主謀者的地位にあり、本件嘆願書提出が全従業員に知れた段階で、従業員間に気まずい対立や反撥が起ったとはいえ(前記三の2)、そうして原告が些か短気な性格で、これまでにも福岡営業所内で問題を起こしたことのある人物であったことは以上に認定の各事実から推察できるけれども、被告が本件で懲戒解雇処分を行うとすれば就業規則七五条の解釈適用を誤り、無効となるべきものと判断するのが相当である。

従って狩峰所長の前述の如き説示は、原告にとってその自由な意思の形成を妨げられた意味で、また同所長としても自らのなした右説示の持つ心理的効果を十分に認識していたと推認される点で、民法九六条の強迫にあたり、右説示に基づいてなされた原告の本件退職願は、取消し得べき意思表示であったと言うべきである。

他に右認定を左右するに足る証拠もない。

五  しかして原告が昭和五〇年四月一一日に狩峰所長に対して本件退職願を取消す旨の意思表示をしたことは、前述のとおり当事者間に争いがないから、原告の退職の意思表示はこれによって取消され、その余の点を判断するまでもなく本件退職は無効で、その被告会社における従業員たる地位も未だ存続しているものと言わなければならない。

また原告が同年一月ないし三月に受け取った給料額はいずれも当事者間に争いがなく且つ同年四月分の給料については原告が二〇日分を既に受領済みであること同原告の自認するとおりであるから、結局被告は原告に対して同年五月分以降は支払日である毎月二七日限り(原告主張の賃金支払方法・支払期は弁論の全趣旨よりこれを認める)右三ヶ月の平均給料額金一〇万五、一八四円中原告主張の金一〇万五、一五〇円を、同年四月分についてはその一〇日分(三分の一)に該る金三万五、〇五〇円を、それぞれ支払わなければならないものである。

してみると、原告の地位確認については確認の利益があり、原告の本訴各請求はすべて理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条を、仮執行の宣言については同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱の申立については、相当でないからこれを却下する。

(裁判長裁判官 岡野重信 裁判官 中根與志博 榎下義康)

〈以下省略〉

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